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人生の岐路
「家でCADして、少しお金貰っています」
と、言うと
「資格持っているの?」
「そういう学校に行ったの?」
「何かに登録しているの?」
と、よく言われます。

全てノーです。

あ、資格持っていた。
「2級CAD利用技術者」と
「初級システムアドミニストレーター」
でも、この資格があるから仕事を貰っている事に繋がっている訳じゃないし・・・。

最終学歴
「地元女子短大の家政科」です。
家政科って何?って感じでしょう。
料理作ったり、服作ったり、家庭経済だのを勉強してましたたらーっ

英語が苦手な私は、受験科目に英語が無いところを選んだのです。
確か、国語、世界史、家庭一般、が受験科目だったハズ
(安易〜)たらーっ

周囲の卒業後の進路は、銀行、証券会社、保険会社、職種はほとんど一般事務でした。

「一般事務は向いていない」、と思った私が選んだのは
「建築コンサルタントの設計補助」
当時、建築コンサルタントって何?
でしたが、一般事務じゃない仕事はそれくらいでした。
地元の中堅企業、
残業は月に100時間近く、
給料も決して高いとは言えませんでした。

当時は、まだバブル後半。
銀行だの証券会社へ勤めた友人のボーナスは、多分私の5倍はあったかも・・・。

でも、今自宅で仕事ができるのは、そこの会社に勤めたおかげです。

そこで私の上司だったIさん(♂)
この人には色々な事を教えてもらい、影響を受けました。
仕事の内容もそうですが・・・。
彼の奥さんは、自宅で図面を書く仕事をしていました。
図面を書くだけではなく、土木設計委託業務をしており、
一人で会社を起こしていました。

彼は私に、
「近い将来、パソコンがあれば家で仕事をできるようになるよ」
「ケロ子さんは、家で専業主婦になるタイプじゃないから、目指せば?」
と、冗談のようなことを言っていました。

当時まだパソコンはウィンドウズじゃない時代です。
インターネット?メール?まだまだ未知の世界です。
1部の人は「パソコン通信」というものを利用してたかな?

勿論私も、CADなんぞ会社に1台しかなかったので、触らせてもらったことはありません。
ワープロで書類を作っていた頃です。

あれから18年・・・。

彼もそろそろ、退職かな
私が20歳の頃40歳だったので
退職後はどんな人生を歩むのかしら・・・

Iさん?
3年前に連絡が来たなぁ。
直接会って話をしたのは、ユウの妊娠中だったので、もう6年近く前です。
忙しい人なので。

私のクライアントの一人である(有)SSのTさんは、
Iさんの会社から仕事を貰って、私もそれを手伝うので、
間接的には、Iさんの仕事をしていることになります。

たまに会って、近況報告したいな。


一気に60位まで上がった順位
最近はOUTポイントが多いですね。
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ありがたや、ありがたや。
しかし、INポイントが多くないと、順位は上がらないようです。
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出産退社をした3社目
2社目であるN社を
平成4年3月に退社。
時代はすでにバブルが弾けた後でした。

中々、次の仕事は見つかりませんでした。
時期も悪かったですしね。

母が勤めていた会社の社長さんに、どこかいいところないでしょうかね。
と相談したところ、CADができる人を探している会社があるとのこと。

早速面接。

電力会社系で、とても安定した会社でした。
女性の入社も、コネがないと入れないところ。

ただ、どうしてもCADを専門にできる人がほしかったらしく、
1年間は契約社員で、その様子を見てよければ1年後に社員採用ということで、働き場を見つけることができました。

3社目(株)Tは大きな会社。
私が配属された部だけでも、50名はいました。

電気工事の会社だったので、部の男性はほとんど現場に常駐、社内には部長、事務担当者、設計積算担当者、の10名程度しか残っていなくて、全員の名前を覚えるのに1年近くかかりました。

3、4年目くらいから、居心地がよくなりました。
若い人も多く、飲み会をしたり、休日はみんなで海に行ったり、スキーに行ったり、イチゴ狩りに行ったり、色々遊んでいました。

当時は設計だけでなく、各現場担当者から直接指示を受けることが多かったです。
現場担当者は、日中現場へ行っているので
電話やFAXなどでやりとりをしていました。
それがとても今の仕事に役立っています。
指示を受ける、疑問点を質問する。
これは、直接会って話するのと
電話で話するのでは、お互いの理解度が大違いです。

電話でもいかにお互い、わかりやすくやりとりできるか。
これを心がけるようになりました。

仕事の頼み方
10人いれば、10通り。
1〜10まで説明してくれる人。
「とりあえずやってみて、わからないことは、随時聞いて」の人。
わかりやすい人、わかり難い人
資料がそろっている、資料が揃っていない
急ぎなのでサットたたき台が必要な人。
完璧な完成品が必要人。

様々です。

そのころから、独立又はパート程度に問わず「いずれは自宅で仕事をする」
それを意識していました。
月給で貰っているのだから、仕事量の多い少ないに関わらず給料は同じ。
それでも、どんなに忙しくても、頼まれた仕事は断りませんでした。
忙しくなればなるほど、なんだかワクワクしてきました。

限られた時間をどうやりくりして、仕事を進めるか。
そんなことを考えながら、仕事をするのが楽しかったですね。

運よく、社内でパートナーをみつけ社内結婚し、子供が生まれる3年程は、共稼ぎでした。
遅ればせながら、我が家のバブル期イヒヒでした。

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170位程度を行ったり来たり・・・・。
一気に100位くらいにならないかなぁ。
* 12:37 * comments(2) * trackbacks(0) *
ケロ子の経歴その2 踏み台にした2社目
お世話になった、K技研を退社すると決め、
通常業務と平行しながら、社内の身辺整理を始めた平成3年の3月。

しばらく失業保険でももらいながら、「ぼーっとしたい」、
そう思っていたので、次の就職先等は考えていませんでした。

そこに、K技研の下請け会社、N社のO常務さんから、
「うちで仕事しませんか?」と話が来ました。

N社のO常務。
常務と言っても、当時30歳前だったはず。
お母さんが会社の社長で、大学卒業後はK技研に2,3年勤め、社会勉強をしていました。

K技研には頻繁に来ていて、私も顔見知りでした。
「コンサルは忙しいから、今度は違う職種に勤めたいんですけど」
と言ったところ
「ケロ子さんにはCADをやってもらいたいと思っているんだ」
とのこと。

私はこれに飛びつきました。

当時CADは、ん百万したはず、大抵会社に1台。
設計専門の男性社員が使用している為、
また、私も自分の業務が忙しくCADに触ったこともありません。

K技研では、主に調査を担当していたので、
昼は役所で打ち合わせ、資料集め、会社に戻って報告書作成。
そんな毎日でした。

何をするにも量が多かったので、
大量単純作業があるときは、自分でアルバイトを何人か探し、その管理もしていました。
毎日、あっち行ったりこっち行ったり、そんな仕事でした。

CADなら、一日中会社にいてパソコンの前に座っていられる、そう思いましたね。
巷には、CADスクールも出来始めていました。
ただでCADが覚えられる
次の仕事も決まっていなかったので、とりあえずN社さんにお世話になることにしました。

平成3年4月、N社入社。

N社は全部で20名くらい、測量調査がメインの会社です。
私が入った設計部門には、
O常務と
夜間の学校に行っているアルバイトのK君、
秋ぐらいから入社した女性、
それに私と4人でした。

とりあえず、O常務が書きかけの「擁壁の配筋図」、
これを完成させること。
これが私のCAD初仕事でした。

O常務は、日中打ち合わせなどで留守がちでしたから、
一人でもくもくと作業。
「書きかけの図面の続きを書く」
というのがよかったのでしょうね。
一人でもなんとか、進められました。

わからないこと、
こんな機能はないか?、
そう思ったことをメモしておき、O常務が帰ってきたらそこを聞く。
そうやっているうちに、2週間程度でCAD操作は覚えました。

N社では、「配筋図」と鉄筋の数量表作成、道路などの「横断図」作成(測量会社だったので)、地層の「断面図」みたいなのも書いたなぁ。
残業もそれほど無かった。
週に1回9時頃まで残業、その他は7時ごろには会社を出られました。

当時、ジャズダンスを習い始めていてそれに夢中。
毎日のようにジャズダンスのレッスンを受けていました。

半年程度して、CADがすっかり身につきました。

ただね、O常務がどうも肌に合わないの。
私には優しかったのですが、もう一人の女性や出入りの業者さんなどに対しての態度が横柄なのです。
社長の息子、わがままでしたね。
面白くないことがあったらすぐに顔にでるし、意固地だったし・・・。

器の小さい人間でした。

K技研で顔を合わせているだけでは、わかりませんでした。
人間の見る目が無かった、まだまだ若かったケロ子です。

我慢できずに
平成4年3月に、N社を退社しました。


また、読み返すと、若かりし頃の自分を思い出し
涙が・・・な〜んちゃってたらーっ
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あまり、順位の上昇がみられずため息の日々





* 21:48 * comments(0) * trackbacks(0) *
1つ目の会社で私が得たもの

参加中の
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今まで主婦日記のカテゴリーでしたが、
「SOHO、在宅」へ移動。

家で、お仕事をしたい
アフィリエイトとか情報商材じゃなくて・・・
という、主婦の方の少しでも参考になればと思っています。

実は私、この「B型日記」の他にもう一つ
小遣い稼ぎ目的でもう一つブログをやっておりました。
しかし、そちらはボチボチ整理する予定。
そこで、そっちに書いてあった記事で
「う〜ん、消してしまうのはもったいない」
ものをこちらに移動しておこうと思います。
「読んだこと、アルアル〜」
って人はゴメンナサイね。

第1回目はケロ子の経歴です。

私は、33歳で出産退社しました。

それまで、勤めた会社の数は3つ。

短大を卒業し、就職したのがK技研。
「建設コンサルタント」でした。

そこで、建設コンサルタントとは何か、私もきちんと説明できないので調べてみました。

【法律では「公共工事の前払金保証事業に関する法律(昭和27年法律第184号-第19条の三)」において、次のように定義される。】

「・・・・土木建築に関する工事の請負を業とする者、
または土木建築に関する工事設計若しくは管理、
土木建築に関する調査、企画、立案、若しくは助言を行うことの請負または委託を業とする者・・・・」

と、定義されます。

私の勤めていたK技研は、測量調査から始まり、企画、立案、工事設計までの仕事をしていました。

建設コンサルタント業、キツインデスヨ。

公共工事ということで、相手は「官庁」。
1つの業務に対する仕事量が多い。
期日は短い。
わがまま。(ただし金払いはいい、当時はね・・・・)

ってなことで、毎日残業は当たり前、もちろん徹夜も有り、週休2日は夢のまた夢・・・。

会社自体は楽しかったのですが、仕事がきつくて2年で退社しました。

男性は、独立する人が多いです。

仕事が忙しく不規則なのに、安い給料で会社の規則に縛られるのが馬鹿らしくなるのでしょう。

独立して、「建設コンサルタント」業会社の下請けとなり、自分のペースで仕事をします。
建設コンサルタントは、自分の経験と知識、それとパソコンがあれば会社を作れます。
忙しくても、やった分だけ自分の収入になるほうが魅力ですよね。

現在の私のクライアント先
(有)SSのTさん
(有)AのKさんは、このK技研に勤めていました。

長年、年賀状だけのやりとりでしたが、6年前に私が妊娠した時、彼らの会社に遊びに行きました。
「出産を機に専業主婦になるから、家で出来る仕事があったら声かけてね〜」と、宣伝して歩いたのです。

(有)SSのTさんは3才年上、K技研時代は「飲み仲間のお兄さん」でした。
3年くらい前から、仕事をくれます。
年末、年度末は忙しいので月に4万〜8万程度。
夏は仕事があまりないのですが、色々見つけてくれて1万程度にはなります。

(有)AのKさんは、K技研では直接一緒に仕事をしたことはありませんが、上司でした。
声をかけてから、1年に1回程度2万程度の仕事を頼まれます。

一昨年は2月にCADの仕事を。
それっきり連絡無しでしたが、昨年の1月の末
イラストレーターのまとまった仕事があるのでお願いしたいとの事。

「イラストレーターできる?」
「若干イヒヒ・・・」
「十分十分、じゃあ、あてにしてるから、よろしく〜」
たらーっですって。

こういうノリで、仕事しているケロ子ママです。

それもこれも、無我夢中で働いたK技研での実績。
当時の、初々しくも健気に朝まで仕事していた、若干20歳の頃の私の姿を彼らは知っているので、こうして声をかけてくれるのだと思います。

K技研での2年間、つらかったけど意味のある2年間でした。

長々と読んでくれてありがとうございます。

自宅で仕事をしたいと考えている人に、少しでも参考になればと思いました。

ここ何日かは、ブログで私の経歴について紹介したいと思います。

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